私たちは気づかぬうちに幸せを捨てている【選択のパラドックス】

さてまず質問があります。

あなたは服を買いに行くとします。
2つ選択肢を提示しますので
あなたならどちらに行くか考えてみてください。

-幕張のイオンモール(巨大ショッピングモール)
-GUの1店舗

 

大半の人はイオンモール行っちゃうと思います。
中にある数々の店舗、豊富な種類・・・。
見て回ることを考えただけでワクワクしますよね。

しかし・・・・

何も買っていない。

こんな経験ありませんか?

私はよくありました。
豊富な選択肢があるにもかかわらず、買わない。
結局GUやAmazonなどで買っちゃうんです。

この状態、「選択のパラドックス」というのですが、

人生をつまらなくしています。

なぜかは分からないと思います。
私だって生まれてから25年間ぐらい気づかずに生きていました。

今回は人生で幸せを捨てないため、
選択のパラドクスという趣旨で記述していきます。

 

選択のパラドックスとは?

バリー・シュワルツ博士という方が講演で語られたものです。
YouTubeにも上がっていました。

あまりにも多くの選択肢が生まれると「無力感」が生まれるというもの。
そして何も選べなくなる。

さらに選べたとしても、
後悔や、
他の選択肢がよく見えるなど、
結局満足感が得られないとのこと。

ここから私なりの解釈ですが、

こうして「選ぶ」ことができなくなり
しょーもない人間が爆誕してしまうわけです。

少なくとも私の出会ってきた人は、
「選ぶ」ことのできない人、多いと思っています。

 

幸せを捨てている

じゃあなんで幸せを捨てているんだ?
という話になると思うんですが、
私なりの考えがあります。

冒頭の例で言うと、
「服を買いに行く」というものは
楽しいことだと思っています。
まずこれ前提。

しかし買いに行った結果、
「選択すること」に無力感を覚え、
何も買わずに帰ってくるとします。

無力感って人々が「疲れた」って口に出す感覚と
同じだと思っているんですが・・・
これ楽しいですか?

服を買いに行くという楽しい企画が
何の成果も得ず疲れて帰ってきただけ。

これって幸せを捨ててませんか?
と私は思っています。

 

私の場合の事例

もう一つ例をあげておきます。
これは何かを勉強している方に刺さると思います。

プログラミングを勉強するとき、
「全部Googleで調べればよくない?」って思ってました。
実際可能ですし無料で済みます。

しかしGoogleで選択できる情報量って膨大すぎません?

私は速攻で心折れて速攻で選択のパラドクスに陥っていることに
気づきました(なお当時は選択のパラドクスという言葉すら知らない)。

なので私は、まとまった情報を学ぶときは本を購入するようにしています。
これなら選択するという行動をほぼ行わず、学ぶことができる。
唯一の選択肢である本の選択は、売れてる本の中から3つぐらい絞って選びます。
という例。

逆にプログラミングで
「この言語のIF分の書き方どうだっけ」など
特定の条件で
Googleを使うことは幸せ度高いと思っています。

理由は選択肢が発生しないからです。
別に書き方さえ知れればどのサイトでもいいし
適当に上のページからパパっと見るだけ。

 

解決策

当然ですが、選択肢を避ける、ことが答えになります。

つまり完全解決はできません。

しかしポジティブシンキングしてください。

「選択肢を避ければ避けるほど幸せ度は高くなる」と。

これが幸せを捨てないための答えです。

具体的には
-選択肢を減らす
-後悔しない
-他の選択肢に目移りしない
ってことにもなる。

これらを一発で解決するのが、
自分の選択を最善にする努力をすること。
例え効率の悪い選択肢を選んでいてもそれは仕方ない。

常に最善を選ぶなんて無理無理。
でも結果は出せます。
それが世の原則というもの。

気楽に行きましょう。

 

まとめ

選択肢を増やすと無力感(疲れます)を産みます。

まずは、選択肢を増やし過ぎず、
何かを選ぶ癖をつけてみてはいかがでしょうか。

そこから幸せは増やせます。